ブッダについて詳しくない人でも「悟り」という言葉だけは知ってると思う。
足の指先、蚊に刺された。痒すぎて悟り開けそう。
とか、
大学の夏休み長過ぎ。暇すぎて悟り開けそう。
とか。
言葉ではみんなわりと簡単に悟りがち。
なんなら、ゆとり世代の次は「さとり世代」という言葉すらあるらしい。
でも、悟りってどういうことなの?をしっかり説明できる人はほとんどいない。
ここまで、ブッダゆかりの地を実際に巡ってブッダにだいぶ近づいてきたはず。ここまで来たら、いっそのこともっと近づきたい。
悟りの境地へ。
笑
ブッダがどうやって悟りを開いたか。それは
瞑想
妄想なら得意中の得意やけど、瞑想となると、なんだか分からない。
調べてみると、ブッダが悟りを開いた瞑想法が今も残っていた。
その名も
ヴィパッサナー瞑想
ブッダが悟りを開いた瞑想法を実践する・・・
変態の好奇心もここまで来かと。笑
世界各地のヴィパッサナーセンターで、定期的に瞑想の修行は行われている。
※日本にも京都と千葉にヴィパッサナーセンターはあるみたい。
実際に悟りを開けるとは思ってないけど、自分の内面になにか変化は起こるかも?との期待を胸に参加した。
ブッダの瞑想法。
その実際の内容とは・・・。
ヴィパッサナー瞑想
参加したのは10日間のコース
施設はこんな感じ。
基本的なルール。
・携帯、パソコンなど外の世界と繋がれる物の持ち込み禁止。
・ペンや紙などの筆記用具、本の持ち込み禁止。
・他の参加者とのコミュニケーション禁止(会話、目配せ、ジェスチャー、筆談など全て禁止)
瞑想の訓練
1日のタイムスケジュールはこんな感じ。
4:00 起床
4:30~6:30 瞑想
6:30~8:00 朝食&休憩
8:00~9:00 瞑想
(小休憩)
9:00~11:00 瞑想
11:00~13:00 昼食&休憩
13:00~14:30 瞑想
(小休憩)
14:30~15:30 瞑想
(小休憩)
15:30~17:00 瞑想
17:00~18:00 ティーブレイク
18:00~19:00 瞑想
19:00~20:30 ビデオ講義
20:30~21:00 瞑想
21:00~21:30 質問タイム
21:30就寝
要するに
外界との繋がりを完全に断ち切って、ひたすら瞑想、瞑想、瞑想です。
ブッダの教え
瞑想の説明の前に、ブッダの教えとしてとても大切なこと。
「この世の全てのものは、消えゆくもの」
という考え方。
前回の記事にも書いたように、ブッダが亡くなる最期の言葉にこれを言うくらい。
国語の授業で聞いたことあるはず「無常観」という考え方。
この世に「常」にあり続けるものなど「無」いという「観」(考え方)ということ。
これが、ブッダの教えの中心にある。
人、動物、自然だけでなく、不安、不幸、幸せなど、人間の内部のことも含めて、とにかくこの世のすべてのものは消えゆくものなんだということ。これが自然界のルールなんだということ。
これが、大切なポイント。
瞑想ってなに?悟りってなに?
瞑想とは端的に言えば、徹底して自分を客観視するということ。
今の自分の身体、心の状態を見つめて見つめて見つめる。ただ観察する。そして、大切なのは決して肯定も否定もしない、反応しないこと。
例えば、怒りに関して言えば、イライラして「はぁ!?お前ふざけんな!!」って相手にぶつけても(肯定しても)その後、スッキリはしない。イライラは残る。
「イライラしたらアカンアカンアカン・・・。」って否定しても、余計にイライラしてくる。
だから、自分を観察してイライラしてる自分を認める。「あーイライラしてるんだね。自分。」とそんな自分を否定も肯定もしない。ただただ観察するだけで反応しない。
それが出来れば、怒りの感情は自然と消える。・・・らしい。笑
喜びなどのプラスの感情に関しても同じ。否定も肯定もしない、つまり喜びに固執しないことが大切。
例えば、何かを貰って、それを大切にしよう!!と、その物にこだわるから、独占欲につながり、失くした時に苦しむ。
「喜んでるんだね。自分。」と、喜んでいる自分を認めて、その喜びを肯定も否定もしない。決して固執しない。
そうすることで自然に気持ちの高ぶりも収まり、独占欲が発生しないから、失って不幸になることもない。ということ。
つまり、自分の内面に発生した感情や感覚も、否定も肯定もしなければ先に書いた自然界のルール(無常観)と同じように自然と消えるということ。それがこの世のルールなんだと。ブッダの考えはそんな感じ。
それができれば、腹が立つこと、悲しい出来事、嬉しい事、人生で何が起こっても、発生した感情を自然に消せることが出来るから、心が乱されることは無く常に平穏な心でいられる。
↑
これが悟り。・・・たぶん。(気弱)
そこに持っていくために瞑想の修行を続けるという感じ。
要するに、
・自分を徹底して客観的に観察する。
・感情、感覚全ての存在を認めて、それを否定も肯定もしない。
・自然に消えるのを感じる。
という感じ。
実際にやったこと。
※瞑想してた部屋。
そんな悟りの境地に行きつくために、10日間なにをやったか。
簡単に書きます。
というか、真面目に書くとコイツいよいよ変態やな。と思われるやろから。笑
これまで書いてきたような自分の「内面」の感情を客観的に観察するのはかなり難しいので、まずは痒み、痛みや感触などの自分の「外面」の身体的な感覚を感じ取って、それを否定も肯定もせずに徹底的に観察する。そして、それが自然と消えるのを感じとる。という所から始めた。
例えば、膝に痒みがあれば、痒いのいや!つらい!って思ったり、かいたり、身体動かしたりせずに「あー、今、膝に痒みを感じてるんだねー。」と、痒みを感じてる自分を否定も肯定もせずに、痒みが消えるまで客観的に観察し続けるという感じ。
そうやって外面の感覚を客観的に観察できるようになってから、内面の感覚の観察に入るということ。
イマイチ分かりにくいだろうけど、そういうことです。
最後に「自分を客観的に観察する」を何から始めたのか、紹介しておきます。
瞑想中はあぐらをかいて座り、目を開けたらダメ、身体を動かしてもダメ。そのルールの中、初日からの3日間朝から晩までやったこと。
鼻息の観察
以上。
それ以降に何をやったか興味ある方は個別で連絡ください。笑
10日間の修行を終えて
悟りは・・・
開けませんでした。
施設を出て数秒で、お金をごまかそうとするインド人に出会い、全力でイラッとした。素直に「はぁ?ふざけんな!」って言い放ってた。自分の感情に反応しまくり。
悟りの境地はまだまだ遠い。笑
ただ悟りがどうとかを抜きにしても「否定も肯定もしない」これは非常にいい捉え方、対処法だと思ったので、続けてやってみようとは思ってる。
ブッダが悟りを開いたのは35歳の時。現在、ワタクシ28歳。あと7年で・・・行けるかな。悟りの境地。笑
次回はネパールへの陸路移動。
ブッダの生まれ故郷へ。
です。