仏教の聖地ブッダガヤ(bodhgaya)を出て、次はヒンドゥー教の聖地ガンジス川のあるバラナシ(Varanasi)へ、電車移動。
大通りに出た。目の前の光景がこれ。
中央分離牛。
街中を数分歩くだけで、日本での「普通」がどんどんぶち壊されていく。
インド全体を通して言えることではあるけど、特にバラナシはワンダーランド。日常が非日常。
以下、実際にバラナシであった出来事。
牛、牛、牛、牛、牛、牛。
最初に写真も載せたけど、大通り、細い路地、そこら中に牛がいる。犬も歩けば牛に当たる。
う〇ち
そんだけ牛やら犬やら動物がいれば当然出すものは出すわけで。えぇ、道には大量のソレです。
馬の死骸
道端に馬の死骸が転がってた。
写真がこちら。
↓
↓
ウソです。さすがに載せない。というか、犬がその死骸を食べてて、あまりの衝撃的光景に写真を撮ってもいません。よくあることなのかは知らないけど、インド滞在中に2回遭遇した。
ずるい人
例1
乗車前に言った値段より高い料金を、降りる時に請求してくるトゥクトゥクドライバー。「なんで?」って聞くと、
「思ったより遠かったから」
やと、ふざけんな。
例2
自転車のリキシャーのおじいさんに「往復で40ルピーでどうだ?」って言われた。歩ける距離だったので断った。すると追いかけてきて「20ルピーならどうだ?」と言われた。そんなに言うならと乗る。すると降りる時
「『20ルピー』と言ったのは行きで20。帰りで20という意味だ。」
やと。
・・・それやったら40ルピーのままやんけ!!ふざけんな!
「外国人=お金」イズム
例1
上とかぶる内容やけど。
話しかけてきて仲良くなって話が進むと「うち、お店やってるんだよね!見に来ない?」になる。そこから執拗な客引きに変貌する。
体感的には「ハロー!マイフレンド!」と声を掛けて来た人の92%くらいはお金のことしか頭にない。目が$マーク。
例2
「マッサージするから」って腕を掴んできて、断って振り払っても、しがみついてくるおじいさん。軽くホラー映画。
例3
「外国人は寄付をしなければいけない決まりがあるから払え」と言ってくる。
※そんな決まりはありません。
払わないと言ったら「払わないならここから出ていけ」と言ってくる。
この後の言い合いは醜いので詳細は書きませんが、この時人生で初めて素直な気持ちで「ピー」が入る英単語を使ってしまいました。英語が上手くなった気がしました。
火葬、牛、洗濯、沐浴
火葬場で死体を焼いてる数十メートル横で、牛が川に入ってる、その十数メートル隣で洗濯してる人々、の横で沐浴するインド人。
同じ景色から入ってくる情報量が多すぎて気持ちの整理が追いつきませんでした。
人のバラエティが豊富
駅ではそこら中に人が寝てたり、大量の路上生活者、挙げれはキリがないけど、日本では有り得ない光景が広がる。
駅のホーム。熟睡。
簡易的寝袋。
見た目はすでに神様。
2度見したくなる人が続出する。1つ1つにつっこんでたら、歩くん進まへんくらい色んな人がいる。
「生」と「死」について。
バラナシの感想のとして、もう一つ大きなテーマが「生」と「死」について。
ガンジス川にある火葬場では毎日、大量の死体が焼かれている。ヒンドゥー教徒にとっては遺灰をガンジス川に流すのは特別なこと。
日本で想像する火葬ではなく、木の上に遺体を直接置いて焼くので、焼かれてどう変わっていくか、ほとんど丸見えの状態。
犬や牛の死骸とかもそうやけど、「死」そのものが目の前にある。
そして驚いたのは、流された遺灰の中から銀製品などの貴金属を手に入れるために、遺灰まみれになりながら川の中で、遺灰をふるいにかけている人がいること。
そうやって銀製品をとってる人、汚い手や強引にでもお金を稼ごうとする人や路上生活者の姿。それはある意味、「生」きることへの貪欲さやと思う。
普段の生活で「生」と「死」をあそこまで、間近にはっきりと見せられることはあまりなく、深く考えさせられた。
楽しかったことも、めちゃくちゃムカついたことも、ぜーんぶひっくるめてバラナシは面白い。「Fun」ではなく「Interesting」の意味で。
最後にバラナシ・ガンジス川の写真をいくつか。
イケメンじぃさん。
夜のヒンドゥー教のお祈り「プジャ」
次回は仏教四大聖地その2「サールナート」について!