中国からベトナムに入って、まず思った。
建物がどことなく洋風でお洒落。
中国って、申し訳ないけどオシャレさには、かなり欠けるから。笑
なぜ建物が洋風でオシャレか
フランスの植民地やったから。
文字の話でも、カフェの話でもそう。ベトナムについて考える上で、他の国からの支配というのは、避けて通れない。
ベトナムが本当にベトナム人の国家としてちゃんと成立したのは、ベトナム戦争が終わった1976年ぐらい。
たった40年前。
それまではずっと、外国から攻め込まれたり、支配を受け続けてたりしてた。調べたら、知らないことが多くて驚いた。
遡ると紀元前から。
まずは中国からの支配を受ける。約1000年間。
この頃に、文字とか芸術とか、色んな中国文化が入ったんだろね。
で、その後、西暦1000年過ぎたぐらいから、ベトナム人の国家が誕生する。けど結局、中国からの干渉が続いたり、フビライハーンに攻め込まれたりする。内紛も起ったりで、なかなかまとまらない。そしえ、やっと1800年頃に、ベトナム統一国家が出来る。でも結局は中国の支配下。中国の科挙制度とかも取り入れてた。
その後に1800年代になってやって来るのが、フランス。
1852年にフランス=ベトナム戦争が起こって、ベトナムの一部をフランスが占領。
こうなったら、どこが怒る?
ベトナムはもともと俺のだぞ!!!って。
ずーっとベトナムを占領してきた中国。
フランスvs中国の清仏戦争が勃発。講和条約で、中国はベトナムの支配権を放棄。
結果、ベトナムは完全にフランスの占領下になる。(フランス領インドシナ)
その後、第二次世界大戦中、フランスがドイツに降伏したのをいいことに、ドイツと同盟組んでたある国がベトナムに侵入する。
日本。
1940年から終戦までの約5年程やけど、ベトナムは日本に占領される。
終戦と同時に日本は撤退。
すると、ベトナム独立だ!!って動きがベトナムの北部で起る。
でも、懲りずにまた「それは認めねーよ!」って占領しに来る国がある。
中国?フランス?
さぁ、どっちでしょう?
フランス
諦めないフランス。
そして、さらにもう一つ新しい国登場。
アメリカ。
共産主義とか説明ややこしいので省くけど、フランス側にアメリカが付く。
つまり、
ベトナム独立連盟(北ベトナム)vsフランス・アメリカ(南ベトナム)の構図。
北ベトナムが優勢に戦争進め、フランスが限界むかえて、南北に別れたままやけど休戦協定結んで、戦争はやめましょう。ということで、フランスは南部から撤退。
晴れてベトナム独立か!
って、まだならない。
南ベトナムを支援してる国がまだ残ってる。
アメリカ。
詳しい経緯は長くなるから飛ばすけど、結果的に「北ベトナムvsアメリカ(南ベトナム)」の戦争が始まる。これがベトナム戦争。
このベトナム戦争でアメリカが落としたとされる爆弾の量
推定約200万トン。
第二次世界大戦で、アメリカが日本に落としたとされる爆弾の量
推定約16万トン
200万トン>16万トン
桁違い。とんでもない量。
アメリカ、どんだけ爆弾持ってんだよって。
ベトナムって日本より小さい。もう想像できない。
詳しい経緯はぶっ飛ばすけど、北ベトナム側が結果的に勝つ。
そして、1976年。やーっと、ベトナムは独立する。
40年前ってことは、50代60代の今のお父さん世代の人らはベトナム戦争を経験してるってこと。そう思うと、路上でダラダラしてるおっちゃんも、厳かに、、、、見えない。笑
中国→フランス→日本→アメリカ
って、大きく争ってきたベトナムがようやく独立することになる。
今のベトナム。カフェもあって、みんな笑顔で、ゆっくりしてる。
そのカフェも文化も言葉も文字も、過去のこんな歴史があって今のベトナムに繋がってんねやなと考えると、何とも言えない気分になる。
てか、、、指疲れた。
あ、写真1枚もない。笑
フエにある昔の王宮の写真。
でも、これもベトナム戦争のせいでほとんど潰されたらしいから、大部分が戦争後に立て直されたものやって。
くっそー。戦争のあほ。壊すなよ。
やっぱ、昔の建物みると中国の影響がもろに出てる。
国から国に移動すると、文化の移り変わり感じられるから、面白い。
無理やり写真載せましたが、明石のベトナムの歴史講座でした。